お空にいった「ゆいちゃん」と流産の記録
流産に対する想い No.1
この記録の詳細は日記にまとめていますが、赤ちゃんが私のお腹に少しでもいたという証拠として、その想いを残すためにまとめています。

今回の原因は不全流産(6週)で、オペを2006年4月10日の月曜日に行いました。流産のオペは全身麻酔によるものなので、痛みどころか、記憶もまったくありません。ただ、オペ前の筋注が約1週間経過した今もいまだに痛くて、それがオペの名残となっています。14日金曜日に受診をして、体の方は順調に回復をしているので、普通の生活は可能になっています。下腹部の鈍痛も16日頃から軽減し、今はほぼなくなりました。あとは心の問題だけになりました。この復帰にどのくらいかかるかわかりません。ただ、先週前半よりはかなり良くなってきていると思いますが、ゆーちゃん(2歳)のイヤイヤ期もあり、精神的・体力的に辛いときに、それが重なると、抑うつ状態が激しくなり、自分でも手に負えない状態になります。

初期の流産は誰でも起こりうるし、特に6〜7週では10人に1人とも言われているくらい多いのが現状です。自己勝手な理由から、今年中に3人目を欲しかったにもかかわらず、今回の妊娠にまったく気づきませんでした。流産の兆候が始まった7日夜(くしくも旦那の誕生日)に、はじめて流産では?との疑いを抱いたものの、それでも本格的な生理ではないかと思い込もうとした自分がいました。でも、疑いをうやもやにすることもできず、9日に信頼している助産師さんのアドバイスのもと、即産婦人科を受診し、胎嚢は認められたものの、輪郭がはっきりとせず、もやもやで、このままお腹にとどめる処置をしても、泡状奇殆となる可能性も高いこと、かつ出血量が多いことから、すぐに不全流産と診断されました。翌朝オペの日程を決めるための受診予定でしたが、早朝に大量出血を2回したため、朝一で受診して、即オペとなりました。

結局、私は3人目の赤ちゃんが自分のお腹に宿ってることを、たった1日しかわかってあげることができませんでした。7日の夜にはじめて流産を疑った時点で、赤ちゃんはすでにお腹から消えた可能性も高いので、この赤ちゃんの存在を1日たりとも認めてあげることができなかったのかもしれません。その夜までは、茶褐色の血が少し混じる程度のおりものが2週間も続く生理は無排卵月経かなとか、2月の産後初の生理も同様だったので、ホルモンバランスが授乳時から非授乳時の状態になるための変遷期で乱れているのだろうなとしか思っていませんでした。そして、今月5日帰省から戻った日に、軽度の腹痛がはじまり、少し鮮血が混じりはじめたのですが、今頃本格的な生理再開?とのんびりと考えていました。

そして、7日夜、トイレに直径約4〜5cmもあると思われるような丸い塊が鮮血とともにポトンと落ちました。なぜか、それをはっきりと見えたのです。偶然なのか、お知らせなのか… 一瞬、?状態だったのですが、すぐにまさか…と思いました。拾うべきか、拾わざるべきか、数分悩みました。結局、拾えずに、そのまま流してしまいました。生理とは異なり、名残惜しく便器に残る血液。私の心に鮮明に記憶として残りました。流産のオペ後、これが頭に浮かび、私を苦しめました。

6週なら、赤ちゃんとしては0.5〜1cm弱くらいの大きさの可能性があります。産後初の生理も茶褐色の血液がおりものに混じる程度だったから、万が一、その時に妊娠していた可能性がわずかでもあるなら、約10〜11週のはず。この週なら約3cm前後。塊の大きさがちょうどあうのです。いずれにせよ、0.5〜3cmの赤ちゃんが育っていると仮定すると、私には血液の塊から、赤ちゃんを見分けて取り出すことができる技術はあります。それをしなかった自分は赤ちゃんを見殺しにしたとしか思えないのです。子どもを望みながら、こんなひどいことをした私は生きる資格があるのだろうか? これが私の苦しみを増幅させました。万が一、塊の中に赤ちゃんを見つければ、最後のお別れに違いがあったのではないか? それがどんな方法かは思い浮かばないけど、このような後悔は多少なりとも軽減されたのではないか? もちろん、いなければ、それで納得できたはずなのに… 医師は胎嚢はできているけれども、もともと受精卵がきちんと着床できていなかった可能性が高いからと説明をしてくれたけど、それは私の心を落ち着かせてくれるように配慮してくれたのだと思います。

流産と診断された夜は、このことをかなり後悔しました。号泣です。そんなときに限って、パンパースのパンフレットを取ってきて、子供達は「このおもちゃが欲しい!」と言いました。「うちは今パンパを使ってないから駄目だよ」と言うと、「じゃあ、赤ちゃんが来たらもらえるんだ」と嬉しそうに答えます。その言葉は私にはとても辛すぎました。みゅーちゃんが今年に入り、異様に赤ちゃんを欲しがっていました。その気持ちを考えることも辛かったし、年長になった始業式も結局オペと重なって行くことができませんでした。みゅーちゃんには流産と診断された夜にきちんと説明をしました。「みゅーちゃんの赤ちゃんはお空に行ったの。ママのお腹をきれいにお掃除しないと、新しい赤ちゃんが来ないから、始業式に行けなくてごめんね」と言うと理解できたらしく、一緒に泣いてくれました。そして、「赤ちゃんがお空に行ったことは悲しいけど、また戻ってきてくれるのなら、うれしい」と… それで2人で一緒に寝ました。お腹にはすでにいないかもしれない赤ちゃん(エコーでも見えなかった)と過ごす最後の夜。「ほぎゃ〜」と泣く赤ちゃんの声が1回だけ聞こえました。みゅーちゃんでもゆーちゃんでもない、赤ちゃんの声。それは夢である可能性が高いにもかかわらず、鮮明に覚えています。こんな私に最後のお別れをしに来てくれたのでしょうか?

それから数日はかなり抑うつ状態が激しく、食欲が減退し、アレルギー的にも良くない食事や甘いお菓子ばかりを体が要求しました。もちろん、隠れて食べるのだけど… でも、食べたからといって、アレルギー症状を起こすわけでもありません。これがますます私の生きる価値を喪失させました。断乳した先月17日は妊娠していたことになります。その2日後にマヨネーズを少し食べて強めのアレルギー症状を引きおこしたり、帰省後も自宅ではなかなかできないと思い、卵・乳製品の加工品や卵焼きを1切れ食べて、腹痛や下痢を起こしていたのは、除去期間が長かった過敏性の可能性が高いけど、実は赤ちゃんからのアレルゲン摂取をやめてのメッセージではなかったのか? 次の子もアレルギー体質であることを承知の上で、3人目を考えているのに、妊娠はまだしないだろうという安易な考えのもと、自分が食べたいがために… 

オペ後は卵・乳の加工品を食べても、アイスを食べても、まったく症状が出なくなりました。この3〜4週間に体がアレルゲンに慣れてきたという考え方もできますが、そんなに早く慣れるものなのでしょうか? そのため、赤ちゃんのヘルプのサインを読み取ることができなかった自分に対して、かなり自信がなくなりました。もちろん、生理予定日から始まった長い生理だと思っていたし、つわりもなければ、そんなことくらいで…と落ち込む必要性がまったくないと思われるかもしれません。今考えれば、冷ご飯が食べられなくなったこと(腐った味がする)や米を1〜2食を食べるのが精一杯というのは、二人目妊娠中の典型的な兆候だったのに、そんな嗜好の変化はすっかりと忘れて、授乳中に米を食べ過ぎた反動くらいの甘い考えの自分がいました。

そのため、アレルギーに関する相談には、まったく答えられない状態に陥りました。頭が働かないのです。自分の赤ちゃんのヘルプのメッセージすら気づくことができない私に、その資格がないのではないかとも思いました。また、育児にも自信がなくなるし、本当辛い1週間でした。今は少し改善傾向にありますが、ふとしたときに、精神状態が不安定に陥ります。でも、多くの方や家族の支えにより、ほんの少しずつですが、元の生活に戻れるように頑張りたいと思っています。

ところで、生きる自信を失った私に対し、みゅーちゃんは、「ママはひとりじゃないんだよ。みゅーちゃんも、パパも、おとーともいるんだよ。みんな仲間(家族)なんだよ。ママがお空に行ったら、駄目なんだよ」と言いました。ゆーちゃんはオペ後の経過観察のために病院に連れて行きましたが、内診台の後方で、内診とエコーが終えるまで、「ママ大丈夫? ママ頑張れ!」と先生の声がまったく聞こえないくらいの大声で叫んでくれました。育児も満足にできない私なのに、この子達のためには生きないといけないと思いました。この子達の食事管理ができるのも私だけだし(充分な管理ができていないことも多いけど…)、来年以降の入学や入園を迎えるにあたって、給食問題など乗り越えていかなくてはいけない課題は多いと思います。お空にいった赤ちゃんも大切ですが、今生きてるこの子達の命を守ることの方が大事であることに気づかせてくれました。

だから、私も新たな1歩を踏み出そうと思います。これからも苦悩はたくさんあり、今回以上に抑うつ状態が激しくなることがあるかもしれません。でも、家族や今回暖かく見守ってくれた周囲の方々に感謝しながら、新たな目標(生きがい)に向かって、それらを乗り越えながら、少しずつ前進できればいいなと思えるようになってきました。

今回は、赤ちゃんからのサインを充分に受け止めることができなかったことに対して、申し訳ない気持ちで一杯です。でも、お空から私たちを見守ってね。そして、またいつか私たちのところに戻ってきてね。本当に短い間だったけど、私のもとに来てくれてありがとう。そして、あなたが私のもとに来てくれたことは一生忘れません!

今回予定日を聞くことができなかったので、計算してみました。2月中旬が最初の生理だと仮定すると、本来は7週なのですが、診断は6週でした。私の生理周期が5週と長いためかもしれません。それで6週で計算すると、予定日は12月1日、私のお腹にいた期間は6週2日です。みゅーちゃんが年始より、自分が6歳になったら、赤ちゃんが生まれると言ってました。6週だと予定日の3日前が誕生日になります。もし、順調だったら、私は予定日より早く出産する傾向が高いので、同じ誕生日だったのかなとふと思いました。なにせ、みゅーちゃんは自分と同じ名前の男の子が生まれると断言していたくらいです。さらに、みゅーちゃんは4人できるとも言ってるので、それが本当になるといいな。次は女の子のようですが… ただ、私は今回の赤ちゃんの名前は、「ゆい」と勝手につけました。まだ誰にも言ってないけど… ひらがなだと男女どちらでもいいと思うけど、漢字を考えたら、女の子になっちゃったな(笑)。

(2006年4月17日記)

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